非ITから「情報」を語る

恭子さんが便乗してくださったので、更に便乗してみましょう。


私の主張は*1Webの中で閉じていたとしても(「長崎」のキーワードと修学旅行を楽しみたいという本人たちの意志以外は)情報検索/情報収集は可能である。しかし、Yahoo!などの検索エンジンが使えることが即ち、情報検索できることと直結はしない。情報検索は単純じゃない。というものでした。*2
今の時代、ITの利用を前提にしないで情報検索を学習しても多分、リアリティに欠くと思います。けれどITが使えれば即ち「情報活用能力」*3が身に付いたと評価するのは少し違うんじゃないかなと、思うわけです。


>ネットリテラシーを越えたメディアリテラシーの育成にも繋がります。
教科「情報」の性質を考えたらメディアリテラシーの育成は重要な課題だと思います。ただし「メディアリテラシー」とは何か、という問いは常に付きまとうはずです。修学旅行の例ですと「修学旅行先(長崎)について学習することによって、修学旅行をより楽しく有意義なものにすることができる」ことが「情報活用能力」だと思います*4。しかし「メディアリテラシー」というともう少し狭い意味な気がします。私ならメディアリテラシー教育の目標は「テクスト(情報源)から必要な情報を選択し、かつ批判的に読み解く(嘘を見抜く)ことができる」としますね。
むしろ私は「ネットリテラシー」という狭い枠組みの中で議論していて、その中でももっと狭く、いわば「検索エンジンリテラシー」の話がしたかったのです。ロボット型検索エンジンが上手に活用できるかどうかは検索キーワードに如何に依存しているかを暴きたかった、それを通して「検索エンジンが使える」≠「情報活用技術としての情報検索ができる」を示したかっただけです。


>どういうわけか「情報=IT(技術)」だという認識が世の中にはあるようです
一般レベルで「情報学とコンピュータ工学は違います」とか「情報だからってITとは限らないんだよ」といった議論が有意味かどうかは不明ですが、コンピュータやインターネット等の枠組みだけで「情報」について議論するのは勿体ないと思います。「どうしてブライユは六点式点字を考案できたか」「なぜ天使ガブリエルはムハンマドコーランを復唱させたか」「新しいアイディアが生まれやすい職場環境は一体どういうものか」これらはIT(電子メディア)の枠組みだけで捉えられるものではありませんよね*5
ただし「俺、IDだし、情報=ITじゃないし、パソコンとか別に勉強しなくていいよね?」といった「逃げ」を促進するだけならこの批判には意味はないと思います。


>情報学部の人間なら「情報ってなんですか?」という問いに対する解答ができなければならないという哲学的課題が暗に課せられています(私の経験上)。
……あ、解答できますかね……? 多分できないです(笑)


>「情報がもてはやされて社会がどうなる?どうあるべき?」
「情報」とは何か、よりもこちらの方が”解答”しやすそうな問題ですね。
話を覆すようですが、IT化の影響は大きいと思いますね。具体的にはインターネット(ブロードバンド)とデータベース技術(とその周辺技術)は大きいかと。コミュニケーションが可視化され、インフォーマルなものの多くがフォーマル(形式をもつような)になりやすい(なることを強制されるような)空間が成立したと思います。あとはcopy&pasteで世界のあちらこちらで実装すればいいわけです。
それが故に、だからこそ、IT化としての情報化の”可能性”を過大評価せず、批判的に評価すべきだと思います。月並みですが。

*1:「地べた系情報収集術」というのをよく知らないですが

*2:別にインターネットの外部に拘っていた訳ではありません

*3:中教審(1997)が体系的な情報教育の実施を行うために提唱した情報教育の目標

*4:「情報A」では「問題解決」と呼ばれる領域に近いですね

*5:意外とCSの人達はまじめにこういったことを考えていたりします。