公貸権制度――市民が育てていくクリエータ

公貸権の意義

演習ではかなり無理のある提題をして、受講者の皆さんを苦しめてしまったかも知れません。ですが、ガバナンス論として「蓄積され、利用されるコンテンツ」から見た情報社会の問題を公共性の切り口で提示することができたのではないかと思います*1。多少無理な提題でも、頑張ってその問題について考えることに意義があると思います。「無理だ」と思った時点でガバナンスはできなくなります。
提題者としての反省点は、海外事例のフォローが不十分であったことです。ブログ演習ポータルでも紹介がありましたが、日本語のWeb文献ではカレント・アウェアネスくらいしかちゃんとした文献がなく(2,3参考になったものはありますが)、Web以外の文献も(時間的な理由で手を出していないのですが)十分な質と量がありません(国立国会図書館Amazon静大OPAC)。はてブを見ても分かるように、日本では全くと言っていいほど話題になっていません。私が以前に書いた些細なエントリも、何故がブックマークされていますし。
権力の監視(知る権利)や文化振興(学習権・生存権)の観点から図書館は非常に重要で、またウェブ上で図書館的なサービスが発生しつつあるのだと思います*2
しかし一方で、コンテンツの質が問題になってくる訳で、真に市民のためになる情報(知識)が少なくなると、選挙において適切な候補者が選べなくなったり、日本人は教養がないと馬鹿にされたりする恐れがあります(極端な例ですが)。
市民は単なる情報の消費者に甘んじるのではなく、情報の質を評価し、クリエータを育てていく必要があります*3
将来的には指定管理者制度の問題よりも(利用者の意識まで踏み込むとしたら)ずっと重要な問題であるはずです。

「公と私」の観点から

公貸権(public lending right)が単なる著作権(copyright)と違うのは、「公共の福祉」にかかわるからだと思います。著作者の権利(author's right)であることに変わりはありませんが、著作者にとっては公立図書館に自著を「貢献させられる」訳で*4、「公共の福祉」(市民の人権)のために著作者の権利が制限されているという理解ができると思います。ただし、日本国憲法は「個人主義」の立場をとっているらしく、水戸黄門の印籠のように徒に「公共の福祉」を掲げて良いわけではないようです(その辺はあまり詳しくないのですが)。ですから「公共の福祉」を前提にしつつも、著作者の権利と「公共の福祉」の間を調整するために著作者に権利(公貸権)を認めるべきだという議論が成り立つのではないかと思います。
つまり純粋に私的な権利を出発点とする著作権(copyright)と公的な権利を出発点とする公貸権(public lending right)とは性格が異なり、ややこしいですが公貸権は「公的な権利を保障するため、個人の権利を制限することへの補償を受ける権利」という解釈もできるのではないでしょうか。
文化保護政策的な観点からは、そもそも「公共の福祉」のために「みんなでお金を出し合いましょう(国家基金の場合は税金)」という発想で、「補償」を経由せず、公共*5による私的領域への干渉を許容する訳で、クリエータは始めから公的性格を持った生業ということになります(少なくともジャーナリズムが私的活動だと言われたら嫌ですけど)。
公貸権は著作者が公共に対して自動的に貢献することを認めさせる仕組みです。文筆家団体は公貸権導入に賛成で、自らが公共性を帯びた職業だということを認めた(と思う)訳ですが、他の著作者達がどのように考えているかは分かりません。
レンタル(レンディング)に関する権利を占有したいという著作者の気持ちを公貸権によってどこまで補償するかが課題なのではないかと思います(例外的な「拒否権」も含めて)。

*1:同時履修中の「情報倫理と法」の理解の深化という意図もあったりして……

*2:ウェブの場合、情報の信頼性の確保が出版社などによるフィルタリングではなく、Web2.0的なやり方になるでしょうし、コンテンツのク制作に一般の人が参入しやすい訳ですが

*3:これはある意味コミック・マーケットの思想に近いかも知れない

*4:著作権法第二十六条の三(貸与権)の規定があるにもかかわらず、同法第三十八条の4によって無償貸与の場合に限って著作者の権利は制限されています。

*5:利用者負担の場合であっても制度化を伴うため、国家や地方公共団体が主体と考えられる