人は争わずには生きていけないか??

エースさんが興味深いエントリーをしているので便乗してエントリーを書きます(コメント欄に書くには長すぎるので)。


日本は歴史上たくさんの戦争をしてきた。
(中略)
ここまで争ってきた日本。
それだけ野蛮な人が多かったのか。
ではその血を受け継いでいる私たちは・・・・??
エースさんは「犯罪」「交通戦争」「受験戦争」等の例を挙げて、一見平和そうに見える現代日本に隠された〈争い〉を描き出しています。




日本人の中にある闘争心ですね。弥生中期以降、弥生人は日本各地で土地をめぐる血なまぐさい争いを繰り広げていたようです。こんな皮肉を言うサイトもあります。
http://nido.blog60.fc2.com/blog-entry-18.html
獲物を追いかける手間とリスクがなくなった分、他者の行為が自分の利害に関わるようになって「俺vsマンモス」が「俺vs奴ら」になっていった・・・。自分が生きていくためのエネルギーをマンモスではなく人間に向けるようになり、”キレる”人たちもその名残で人に害を与えます。
争ってばかりでは無駄だと悟った人たちは武士階級による代理戦争を考案します。しかし近代以降〈平等〉の名のもと、戦争に全員参加を強いられるようになりました。
〈受験戦争〉は戦争って言うか〈争い〉のメタファーだと思います。人が生きていくために争うのなら、一番平和なのは〈マンモスと闘うこと〉でしょうか。危険を避けて、リスクを避けて、平和を求めた農耕民族が、結局争いを繰り返している・・・何とも皮肉です

ここからは余談ですが、もし国家?による思想統制が行われ、国民の〈イクサ〉への思考パターンが規格化されたとしたら、それは個人の生きていくためのエネルギーが争いの原因ではなく、ただ単に争いがシステム化されることになってしまいます。規範上の〈自由〉の根底で規格化のシステムが機能していたらそれは自由ではないので、そう言う時こそガバナンスだと思います。戦争とガバナンスって水と油な気がしますが・・・。佐藤先生の”自由であることに気付いてください”というメッセージは、今更ながら重く感じられます。