共同から公共へ

市民の電子的議論の場と言いますと直接民主制みたいなものを想像していましたが、実際はもっと小さくて散発的で柔軟なものなんですね。
以前リポートしたフォーラム「地域ブログがつなぐ公共と共同」の中に多くのヒントが隠されています。折角gtp-mikanさんが藤沢市の電子会議室についてリポートしているのでそれを引用しつつ議論を進めていきたいと思います。
藤沢市の電子会議室を卒論の研究対象にした先輩がいますが、彼は意思決定された中身が実際に政策に生かすことができる仕組みをもっている点(実行性)に着目していました。この点を仮に電子会議室の〈成功〉とするなら、【睡眠6時間計画】での赤尾先生のコメント通りでしょう。さらに上記の先輩が言っていることですが、藤沢市早い段階で電子掲示板を始めたのも見逃せない事実だと思います。
さて「地域ブログがつなぐ公共と共同」に話を戻して、〈顔の見える関係〉を出発点とするコミュニケーション空間についてです。詳しくは前エントリーを見ていただくとして、ブログ村によるコミュニティーを公共圏と対比させて共同圏と呼ぶことにします。インターネットはLANどうしが繋がって大きなネットワークになったと言われていますが、共同圏どうしが繋がって公共圏になり得るのではないかと思うのです。電子掲示板と比較してブログの特徴は顕名性にあります。ホスト・ゲストが区別されます。ブログコミュニティーにおいて、ブログを持つことがコミュニティー参加への第一歩です。ブログを持って何らかのハンドルネームを持つことで市民権を獲得するのです。中野さんの言葉を借りれば〈リアル〉と〈ネット〉を繋ぐ鍵(実行性の鍵)が〈顔の見える関係〉だということです。・・・表現が難しいですが
あえて藤沢市とブログコミュニティーを比較したのは、市民フォーラムとはなにかという根本問題に関わるからです。市民フォーラムといっても目指すべき公共政策が「市の産業政策」的なものなのか「団地の清掃活動」的なものなのか、規模によっても違います。藤沢市のエリア分けは面白いですが、それを浜松市でそのまま適用しようとしてもうまくいくとは限りません。
ある意味でボーダレスなインターネット社会で〈市〉という区切り自体窮屈ですし、市の側が議論の場を用意してどうこうしようといってもネットでパブリックな話をする文化が市民の側になければ議論は成り立ちません。議論の対象が〈市〉的な枠組みに当てはまるのであれば市はその政策過程に関与する余地があります。しかし電子的な議論は非電子的な枠組みを無視した議論であるが故に代議制による実行性は確証されないのです。実行性が確証される場合、その公共政策はオフ会によるナショナル・トラスト的な運動に成らざるを得ないのです。
ここまでの議論は電子会議室に絶望し、ブログコミュニティーに希望を見いだしているようにとれますが、私が行ったフォーラムの事例はまだ黎明期であり、しかも特殊な事例であるということでした。
藤沢市の〈ナビゲーター〉、ブログコミュニティーの〈顔の見える関係〉、これらは重要なキーワードです。共同を公共にするために、少しでも多くの公共意識を持つ市民が、または目覚めた市民が、〈リンク〉(接触機会)をオンデマンドに提示できることが広い意味で市民フォーラムを活性化させる鍵になるのではないかという考えに至りました。まだ例のフォーラムの印象が抜けきれていませんが・・・。