幻想の中立性

 「多様な考えを認めなければならない」
 実におかしなことです。「多様な考えを認めなければならない」という考え以外の考えを排除しています。「多様な考えを認めるといいかも」と言い換えるべきでしょうか。何だか変ですね。
 一方的な見方をしてはいけないというのは確かに賛成です。ですが、「一方的な見方をしてはいけない」と他人に求めたり期待したりするのはある種の一方的な暴力なのではないかと思うのです。
 人ってエゴの塊みたいなもので、多様な考えを認める(少なくとも受け入れる)などという器用な芸当が全ての場合において可能なのかどうか、甚だ疑問です。完璧に中立な立場をとることは不可能なのではと。
 幻想の中立性の居心地の悪さをストイックに引き受けることも時として必要だと思うんです。完璧に中立なのは不可能だと分かっていても中立性を保とうと努力することはいいことだと思います。でも「俺はこうしたいんじゃい」と暴力性を自覚しながらも中立性に拘泥しないでエゴを前面に押し出すのもありなんじゃないかと思います。