IDプログラムとアーカイブズ

アーキビストは情報によって社会をデザインする人です。


アーキビストは歴史に対して責任を持っています。
歴史を構成するものには記憶と記録があります。記憶は数世代までしか伝達されませんが、記録は数千年単位で保存されます。
 【記憶】→【歴史】→【消滅】【証拠不十分】
(【口承】→【歴史】→【保存】【証拠不十分】)
 【記録】→【歴史】→【保存】【証拠性あり】
例えば、私の実家で起こったことですが、隣の敷地を所有している不動産会社から「ブロック塀の分だけ土地をはみ出している」といちゃもんを付けられました。結論から言うとその会社はブロック塀の約10cm分だけの土地を我々から騙し取ろうとしていたのです。
そこで父は市のアーカイブズを参照して、昔の土地についての情報が載っている過去の公文書から、「ブロック塀の約10cm分は我々の土地である」ことを証明しました。こうして父は先祖から受け継いだ財産を守ったのです。
以前から自分の系図や地域の歴史を調べていた父は、こうしたアーカイブズを利用して地元の区画整理*1を調査していました。余談ですが、アマチュア郷土史を調べているようなオジサン達こそ地域の歴史研究の担い手なのではないかと思います。
もしアーカイブズがなければ、土地の正統性の証明も歴史研究も成り立たないわけで、アーキビストは非常に重要なポジションにいるのです。ある情報を保存するかどうか、公開するかどうかを決めるので、アーキビストは情報によって社会をデザインする人間と言えます。情報社会をデザインするIDプログラムとしては、アーキビストを一つの軸として情報と社会について考えることは、大変重要なアプローチだと考えています(集中講義の「アーカイブズ管理論」を受講していた時分はそこまで深く考えていませんでしたが)。
アーキビストは図書館・博物館の司書・学芸員のように*2資格が定まっていませんし、専門家としての地位も低く*3、未成熟・発展途上の段階です。赤尾先生の「べきだ論」に比して清水さんの「不安だから閲覧非にしてしまう」という発言は、専門家性が未成熟(アーキビストだけの責任とは思えませんが)である所以だと思います。この問題を社会的な枠組みを含めてどのようにクリアしていくかが、IDプログラムとして考えるべき重要な課題の1つだと考えています。


今回の演習では「公開/非公開」のフェーズが問題となりましたが、「アーカイブズ/非アーカイブズ」のフェーズの方がより重要な部分だというのが私の考えです。
物理的な要因で(保管場所がない!)全ての文書を残すことができないので、アーキビストは文書を選別しなければなりません(できる限りは残します)。

選別する前に、現用文書*4アーキビストの手に渡るかどうかの問題があります。公文書館に文書が届く前に破棄されてしまうと、アーキビストの権限も減った暮れもありません。
アーキビストは独立性を持ち、それと同時により強固な「透明性」と人類に対しての「説明責任」を自ら保障していくべきです。社会ではなく〈人類〉と書いたのは、「参加」することのできない未来人(我々の子孫)なども「包含」すべきだという意図を込めています。
弱い立場の専門家はただの事務員に近い存在です。社会をデザインする専門家になるにはどうしたら良いか、私ももう少し考えてみようと思います。


公文書館を知る

*1:私の実家近くでは、大正期に行政の事業ではなく市民運動として行われたのです。今でも通用するような非常に立派な計画でした。

*2:アーカイブズは「レクリエーションに資する」ことはないので、専門性がやや異なります。排架・陳列といったところで見栄えを気にする必要もありません。

*3:司書・学芸員アメリカ等に比べると地位の低さは否めないという問題も……。日本における「専門家」ってしがらみの多い存在かも知れません。大学のセンセイは?

*4:市役所などで現在使われている短期間保存される文書のことで、この中の一部がアーカイブズとして長期間保存されることになります。「情報公開」というと、この現用文書の公開を指すはずです。