「〈公的〉mixi問題」にかえて

最近、mixiの公共性の話題で盛り上がっているようです。そもそも利用者ではないし、mixiそのものがどうなろうと興味がないんですが、情報学部の学生として一筆書きます。
叩いている人が多いから、擁護してみようかな。
【発端】
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/yoshida_inf/view/20070620/1182344000
【反論】
http://d.hatena.ne.jp/tetsuyasato/20070621/1182403561
【反駁】
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/yoshida_inf/view/20070621/1182435219
【擁護?】
http://d.hatena.ne.jp/redtail2733/

論点【1】mixiに公共性があるのかないのか

mixiで利潤追求するのは普通のことだし、問題ないという立場から見れば、「mixiの商業化」というタイトル自体、おかしいはずです。「地方公共団体の公共化」みたいに。
むしろphilさんは〈mixiの公共化〉を争点として〈過剰な広告〉を問題にしたい訳で、「mixiは〈公共〉なのか」って問題を論点にすべきで、メール本文の細かいところを指摘しても仕方ないと思います(議論もされ尽くした感がありますし)。
http://dreamyou.blog26.fc2.com/blog-entry-56.html
mixiは公共だと言っている人もいるみたいですね。
オープン且つクローズドな言論の場であり、内部の人間関係がデータベース的に構造化されているのが特徴だと思います。mixiが公的存在かどうかは中の議論の質に依存するような気がします。
http://artifact-jp.com/mt/archives/200511/freedomconnected.html
重要なのは引用部分です。
パブリックネスとオープンネスは違うのだという議論は非常に面白いですね。ただ完全にパブリックネスを否定できないと思うんですね。mixiも多様ですから。

論点【2】本当に過度な広告か

よく分かりません。

論点【3】インターネット自体が公共的……

インターネットは政府とかも関与しているけれど、mixiは企業の範疇に収まる程度の問題でしょうか。総務省あたりがmixi政策に乗り出せばきっと下品な広告も改善されるのではないでしょうか。
この意見、イマイチですね。

学生の書いたレポートを公開することは認められるか

★その1
学生の書いたレポートは〈授業〉の枠組みの中で行われる一種のコミュニケーションという見方で見ると、それは(授業内に閉じたものではあるが)公的なコンテンツとなり、授業の中では公開されなければならないし、公開されることは前提である。
★その2
さらに、学校は公的な施設だから、授業外からもレポートに書かれたコンテンツにアクセス可能なようにするべきである。
★その3
そうではなく、レポートは教員が成績評価のためにつかうという目的で収集している学生の私的な著作物であるから、目的外使用は不正で、きちんと著作者(学生)の許諾を得るべきである(公表権)。
★その4
しかし成績評価のための資料というのは公文書に当たるから、「こういうレポートが秀です」と言う形で示す場合など、説明責任を果たす際には当然公表すべき。
★その5
例え学生の書いたレポートが公的な性格を帯びているとしても、本人はいい気はしないし、学生と教員との信頼関係を損ねる原因にもなるので道義上、許諾を得なければならない。


私にとっての解は「その5」。

再び〈公的〉mixi問題

  1. mixiは公的性格を自覚して利用者市民(微妙な言い回し)の利益を尊重して経営をする。
  2. 過度な広告の行き着く先は利用者離れ。需要と供給のバランスにより、許容範囲で落ち着く。
  3. 過度な広告により、利用者離れがおこり、mixiが破綻する。
  4. philさんのような人が脱会し、大勢の広告を許容する人たちだけで平和にmixiする。

id:DiceKさんのコメントにもありましたが、楽観的な線で2が妥当かと。
しかしガバナンスの観点からも1の観点も考えていかなければならないと思います。ただ、ユーザ団体みたいなものが動くには「広告が下品」だけでは決め手に欠ける思いますが、如何でしょうか?


完全な擁護は難しかったです。