浜松市のパブリック・コメント(市民と行政の対話の柔軟性)

Price_lessさんが鋭い指摘をしています(特に②の方を見ていただきたいのですが)。

実はここパブリック・コメント制度に対する市民からのパブリック・コメントが記載されているのですが、”残念なことに実際には、専門家によってほぼ作り上げられた計画書が提示されて、それについて意見(感想)を述べるだけのものでした。”パブリック・コメント制度が”、「形だけ」のものであっていいはずがありません”と、Price_lessさんと同様の〈市民の声〉もありました。それを受けて行政側は”公表する時期は、政策等の決定期限などを考慮し、内容の修正など寄せられたご意見を反映することが十分可能な、素案の段階に実施します”と案の中身を修正しました。実際はどこまで〈素案〉なのか分かりませんが、このように〈修正した〉という態度表明自体は意義深かったのではないかと思います。

またPrice_lessさんは”現在の状況では、後で文句を言わせない制度だと考えてしまうのが正直なところです”と述べています。「市民の意見を聞いたんだから文句言うなよ」ということでしょう。更に行政側は”市の考え方にご納得がいただけないということで、さらに議論を続けてまいるということは本制度の趣旨と異なりますので困難であると考えます”と回答しています(上のリンク先と同じページ)。つまり「こんな案あるけど市民的にはどう?」「いやもっとこうするべきだよ」「それはチョット無理かな」と3回の行き来しか許されない制度だということです。「じゃあなんで無理なの?」とか「こうすれば予算の問題は解決するよ」とか言うことができない訳です。

行政側のコメントを閲覧していると「市民の意見を取り入れる(=参考にするとも取れる)」「説明責任を果たす」という意思が見受けられます。表向きの意義はここに載っています。市民側の意識も勿論重要ですが、左記リンク先の第一条にある〈行政参画の機会〉の観点からして、これではあまりに機会が少ないのではないかしらと思ってしまいます。パブリック・コメント上では決定権は「議会>担当部局>市民」と考えざるを得ません、当然議会は市民が選ぶ訳ですが。「政策形成のプロセスに市民が参画する制度」なので「政策決定に市民が参画する」ためのものではないんですね・・・、けれどもう少し柔軟であって欲しいものです(日程的に厳しいのは分かるのですけど・・・)。

ああ、書いていてぐだぐだになってきた・・・・・・
かげぼうしさんの”簡単に意見できるもの”や吉田先生の指摘する〈広場〉的なものについて検討する必要もありそうなのですが・・・難しいですね。しばし時間を下さい!