グッド・ガバナンスとソーシャル・キャピタル

今日で演習じゃない方の「ガバナンス論」の吉田先生パートが終わりました。国連の提唱するグッド・ガバナンスを前提にガバナンスの前提になる考え方やメリット・デメリットなどについて考えさせられました。
今回「吉田先生のガバナンス論(≒国連のグッド・ガバナンス)は理想論だ」という意見がありました。講義では選挙制的〈民主主義〉と対比する形で「グッド・ガバナンスにするにはどうしたらいいか?」と、グッド・ガバナンスが新しい時代の目指すべきものであるかのように議論がすすめられていました。しかし演習パートでは一転して、ガバナンスのデメリットばかり痛感するやり方でした。ついでにレポート提出方法も手書き&時間制限で旧来的な印象を受けるやり方でした。私はこのアイロニーを愉しんでいた方ですが、吉田先生・他の担当の先生・課題提示する先輩方が、それぞれバラバラなメッセージを発していてかなり楽しかったです。・・・おっとこれは演習の時の感想ですね。国連グッド・ガバナンス、良い理想論だと思います。私は好きです。大事なのは理想ばかりに引きづられないことですよね。


ソーシャル・キャピタルはもしかするとグッド・ガバナンスを越える考え方かも知れません。ソーシャル・キャピタルを貯蔵物に喩えると、合意形成の前・中・後には貯蔵庫からのソーシャルキャピタルの出し入れがあります。それは合意形成促進に使われ、また
はそれ自体が合意形成の形成物であったりします。使ってもなくなりません。国連のグッド・ガバナンスにはなかったですが「合意形成すること自体が信頼を醸成する」ような合意形成はよいものだと思います。演習の班でも回を追うごとに人間関係が良好になっていました。その結果としてまたソーシャルキャピタルが貯まっていくのです。少々悲観的に言うと、貯まったソーシャルキャピタルはへたをすると簡単に失ってしまいそうです・・・。馴れ合いがあり、自明のことしか合意形成できない集団では多くのソーシャル・キャピタルを生み出せないと思います。演習での議論でいわゆる反対意見が出ないのは、当たり障りのないことを言っている(当たり障りのことしか言えないから?)からで、それでは合意形成の意味がないですね。ソーシャル・キャピタルソーシャル・キャピタルのまま返すだけですから。グッド・ガバナンスとはソーシャル・キャピタルを拡大再生産する作業とも言い換えられるのでは?

余談:・・・もしかして「ガバナンス論演習」は「こんなのガバナンスじゃないよっ!」を見つける演習なのでしょうか・・・。