パブリックに主体性なし

自由に誰でも公共言論に参加・アクセスできる権利が、日本ではあまり浸透していないという問題について。


歴史的におおやけという言葉は、朝廷だとか大家だとか、特定の主体について用いる場合があります。〈私〉にとって〈公〉は対象なのです。
パブリック・アクセス権が必要な差し迫った事由があるわけでもなく、あることで何か利益を得ることができるわけでもなく、少なくとも一般にそういう自覚がないはずです。
また公共言論に参加するために必要なことを公教育で教えているとは考えにくいです。