パネルディスカッションから1週間

IDのコア科目は次回のテストで幕を下ろすわけですが、私のこの半期を振り返ってみれば、実にガバナンス中心だったように思います。自分自身の問題設定の影響が多分にあるのでしょうけれど。
「メディアスタディーズ」を受講して新たなガバナンスの問題点を発見することがあります。少し極端に言い換えれば森野先生とレッディー先生の〈ガバナンス論〉を受講しているような心持ちです。ポストモダニズムはその一例だったりします。
発展領域の必修6科目をはじめ、ID科目の様々なところでガバナンスは見え隠れします。いえ、「データベース論」や「博物館概論」でもガバナンス的な匂いを嗅ぎとることができます。
「ガバメントからガバナンスへ」という考えは嘘だと赤尾先生は仰いましたが、それを言葉通りに受け取ってしまうと情報社会の意味を見失ってしまいます。基本的に赤尾先生が仰ったようにガバナンスはガバメントを包含すると思いますので、ガバメントに特化しすぎた社会を問い直すために、ガバナンスに立ち返るという視点が重要かと思います。その意味で「ガバメントからガバナンスへ」なのではと。
ディスカッションの場で発言すれば良かったなぁと思う点としては、赤尾先生の「少数派に対する過度の保護は、彼らをのさばらせる」というコメントについてです。私は少数派は保護すべきだと思っています。全ての少数派がハードコアとは限らないですし、多数派が少数派を締め出す社会であってはならないと思います。赤尾先生のコメントは「少数派絶対護るべし!」という少数派保護原理主義?に対する牽制球だと思います。
〈いい多数決〉という言葉が出てきました。仲良しグループで昼ご飯を食べに行くとき、みんなで食べに行こうという前提がありますからどこへ行くか強制されることになります。ですが早くご飯が食べたいのでミスドに行きたくてもマックで妥協できる訳です。「ご飯を食べる」「みんなで食べる」という大前提があるので成り立つ妥協ですが、大前提を話し合うとき困難が生じます。こういう話し合いに時間をかけるべきかなという陳腐な結論を抱いております。
第一部で司会者が〈正義〉の問題について議題設定をしたことが印象的です。やけに難しいテーマを選んだものだと感じました。講義・演習もそうですが、吉田先生の影響力は大きいですね。訴える力があるのでしょうか。スケールを大きくして考えるとメディア(司会者)に対して「ここが問題点ですよ」と訴える能力に発展するのでしょうか。メディアスタディーズ演習で取り上げられた「光市母子殺害事件」を思い出します。
現代的な問題意識を常に持ち続けることと、ことば(用語やその運用能力)を識ることが必要だと痛感させられました。もっと勉強しないと・・・