「新歓」について
新入生にとって初めて出会う先輩が誰なのかというのは実に重要な問題で、それによってもしかすると彼/彼女の大学生活が大きく左右されるかも知れないのです。
新入生にとって先輩が本当の意味で喜ばしい存在でなければ、学生活動は次第に風化してしまうでしょう。
新入生のみなさん、私が先輩です。
新入生の皆さん。国立大学の入試はまだですが、大学生活というものに期待と不安を抱いているのではないかと思います。勉強は大丈夫です。最近はFDだの授業評価だのが導入されて(ごくごく一部を除いて)大学の先生方はとても丁寧に教えてくださいます。新生活も大丈夫です。友達をつくる機会もたくさんありますし(活用するかは別)、一人暮らしも数週間で慣れてしまいます。
それでも不安ですか? ならば先輩を頼ってください。形振り構わず先輩を頼ることができるのは新入生の権利です(法律で保障されてないけど)。
どうして「新歓」を行うのですか。
新入生の不安を吹き飛ばしたいからです。私たちも入学したての頃は不安で一杯でした。
共に大学で学んでいく友達をつくったり、教職員からは流れない情報を持っている先輩と知り合ったりすることは、新入生にとって大変心強いということをよく知っているからです。
私たちも入学したばかりの頃は「新歓」をしてもらい、大変嬉しかったので、後輩にもしてあげたいと考えているからです。
「新歓」の意味は何ですか。
出会い。情報。大学生活の方向づけ。
「新歓」は至る所で行われており、どの「新歓」を受けるかで、その人の得るものが変わってしまいます。
サークルなどで行われる「新歓」は勧誘を兼ねています。大学という場は中の人間の入れ替わりが激しい場であり、「新歓」を含めて、様々な活動の再生産をする必要があります。つまり「新歓」は一緒に学生活動をしていく仲間として参加し、仲間として認める通過儀礼でもある訳です。
「新歓」の失敗?
浜松キャンパスの問題:全体的にサークルの加入人数が減っている
以前紹介した大学祭の問題もそうですが、新入生の学生活動に対する関心が薄らいでいると言われます。原因についてはちゃんとアンケートを取った訳でもないので正確なコメントはできないのですが、「新歓」が上手くいっていないのが1つの原因なのではないでしょうか。
「飲み会をやれば人が来る」とか「取っつきやすくすればいい」とか、そういう問題でもないでしょう。新入生にとって大学生活をいかに過ごすかは、重要な選択肢です。自分自身も求めているような上辺だけでないコンテンツに触れることができるかどうかが重要だと思います。
望ましい「新歓」とは。
目の前にいる新入生が有意義な大学生活を送れるように真剣に考えられるかどうかだと思います。彼/彼女に色々な選択肢を提供でき、彼/彼女の多様な要望に応えられる術を持ち、更に(大学を盛り上げるという観点からは)学生活動としてこうした要望に応えられるだけのコンテンツを生み出すように努力する必要性があるでしょう。
- 生活のこと
- 勉強のこと
- 友達のこと
- 恋愛のこと
- 将来のこと
- バイトのこと
- ……色々
別に一人の人間が、全ての要望に応えられるようになれと言っているのではありません。先輩は一人ではないし、一人の先輩だけを頼るのもおかしな話です。「皆で協力して新入生を歓迎しようではありませんか!」というのが今日のお話でした。