目的に合わせて適切に情報検索することができる

ここに書くべき事でもない気がしますが、最近更新していないので。


「情報通信ネットワークやデータベースなどの活用を通して,必要とする情報を効率的に検索・収集する方法を習得させる」(情報A)〔参照
検索エンジンを使って「カテゴリ検索」「キーワード検索」を行うような実習をイメージしてほぼ間違いないでしょう。今日は高校の情報教育の中で、この辺について思ったことを書きます。

  • 状況

ただ単にYahoo!等で検索するなら簡単でしょう。情報科.netのアンケートでも「インターネットによる情報検索の操作は身に付きましたか。」という問いに「授業で習う前から扱える」と回答した生徒が57%(2003年度)だそうですから、現在はもう少し多いでしょう。
新学習指導要領でも近い内容は扱うようでが、目的が多少異なってくるようです。「社会と情報」ではコミュニケーションに焦点が当てられ、インターネット上の情報の信憑性や著作権への配慮が中心的な関心になります。「情報の科学」では情報の共有や問題解決に焦点が当てられるようですが、具体的にはよく分かりません。

  • 立論:これからは、情報検索能力は取り立てて教育する必要はない

検索エンジンの発達もあり、誰もが簡単に(小学生でも)Web検索ができる現在、情報検索を取り立てて指導する必要性はない。また指導要領改訂の背景と関連して、小中学校での情報教育の充実を受けて高校でWeb検索を改めて指導する意味がない。

  • 反論

確かにWeb検索はある意味で「誰でも可能」となったし、小中学校での情報教育も充実した。しかし、「目的にあった」「必要な」情報を取り出すという意味での「情報検索」を学んだことになるのだろうか。例えばGoogleで「ガバナンス」というキーワードを用いて検索すれば(ほぼ)あらゆるWebページの中からガバナンスに関連したページだけを絞り込んで表示してくれるため、ある意味では「情報検索」に成功したと言えるだろうが、それは目的にあっているのだろうか。機械的にキーワードが一致しているだけだろう*1

  • 思考実験

といった具合に「情報検索」を学ぶとは何なのかよく分かりません。
そこで、授業に取り入れやすそうな課題設定として修学旅行のプランニングを例に思考実験します。

3泊4日で長崎に修学旅行に行きます。
3日目は班ことに自由行動です。
それでは班ごとにどこを回りたいか計画を立てましょう。

(何時出発で何時までにホテルに着いて……云々といった説明が続く)

「特に長崎で何がやりたいこと、見たい物がない」という班を想定して考えます。
すると彼らが知っているキーワードは「長崎」だけです。あるいは中学の「地理」やテレビ等で見聞きした僅かなデータしか持っていないでしょう。長崎に対して何の目的意識も持っていません。従ってWeb検索システムの使い方がを知っていたとしても「目的に応じた」検索はできません。
まず彼らが目の当たりにする世界観はこれです。そして観光地が載っていそうなこの辺を調べるでしょうか。サイト内を色々とクリックして回って「いやぁ、ここ、団体行動で回るしなぁ」「何か微妙」などと会話しながら課題を進めます。ここで新たなキーワードを発見して検索しなおす生徒がいれば相当機転が利く方でしょう。あまり上手く課題が進められない班は「ビミョー」と言いながら、あるいは横道に逸れながら、漫然とクリックを繰り返すだけでしょう。
意識の高い人は「公式ホームページは網羅的だけど、面白いかどうかを判断するようなリアルな情報がない!」と気付くかも知れません。この場合は「リアルな情報」が「目的」な訳です。
班内のある生徒が、ある旅人のブログを見つけました。班員は「良いかもしれない」と思いました。ここでブログというサービスについて知っている何人かの生徒は「リアルな情報はブログの方が手に入りやすい」という事を学習します。次回検索の際は「長崎_ブログ」だとか「長崎_行ってきた」といったキーワードを使うかも知れません。

  • 分析*2

「目的に応じた」といっても初めから目的を持ってWeb検索を行っている訳ではなく、検索−吟味を繰り返す中で「あ、自分の目的ってコレだったのね」と気付かされる事が意外と多い。
Web検索は今のところ、キーワードが思い付かないと絶望的。極端に言えば「何か面白いものなぁい?」というニーズにはほとんど応えられない。Web上のコミュニケーションの大雑把な特徴をつかまえて、自分のニーズを明確にキーワードの形で表現しないと情報検索は難しい。
「Web上のコミュニケーションの大雑把な特徴」というのは例えば「リアルな情報はブログの方が手に入りやすい」といった事で、修学旅行に限らず様々な目的を持ってWeb検索にトライする中で色々と学習する。旅行なら旅行に関するコミュニケーションの様式と広がりがあるはずだから。
こうしたトライの経験を級友や先輩らと共有することで学習に繋がる。ネットへのアクセスばかりでなく、オフラインの情報交換によってもたらされる「ネットリテラシー」も意外と多い。例えば思考実験ではブログを発見した生徒が班のメンバーにそのページを紹介していた。

  • まとめ

技術としてのWeb検索は非常に簡単ですが、活用能力としての「情報検索」はかなり奥が深いです。当然「修学旅行に関する情報検索」ができるだけでは授業としてあまり意味がありませんから、できるなら自分自身の除法検索を相対化して、「目的が明確になるプロセス」や「Web上のコミュニケーションを把握するプロセス」を意識化させるような指導が必要なんじゃないかと思います。

*1:勿論、Google内部では適合性を高めるための様々な工夫がされているのだが

*2:断っておきますが、自分の経験からくる判断も含んでいます。

合意形成についての私的見解(本日の発表・質疑応答)

「合意形成って何ですか?」という質問をid:tetsuyasatoが受けて、後の方で話題になりましたが、「合意形成」って説明すしようとすると厄介ですね。「選挙は合意形成なのか」みたいな話で盛り上がっていました。

合意形成を考える

議論の便宜のため「ガバナンス論(講義)」では否定されていましたが「全員が同じ意思になること、全員が同じ感情になること」を含めて、また単に「合意形成の場に居合わせた」結果として決定を受け入れることも含めて〈広義の合意形成〉と呼ぶことにします。
ここでは思考実験として幾つかの事例を想定してその中から〈狭義の合意形成〉の要件を考えていきたいと思います。

事例A

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「じゃあ、ゴミを拾おう」
加賀「僕も同じ気持ちだ」
星野「僕たち、合意したね」

事例B

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
加賀「この町にはカラスなんていないよ」
星野「いや、いるよ。見たことがあるもの」
加賀「本当に? 信じられないなあ」
星野「だからゴミを拾いたいんだ」
加賀「むしろこんな所にゴミが落ちていることは僕の美学に反するんだ」
星野「じゃあ、ゴミを拾おう」
加賀「僕もそうするべきだと思う」
星野「僕たち、合意したね」

事例C

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
加賀「でも僕たち急いでいるんだよ?」
星野「うん、そうなんだけど、放っておけないじゃないか」
加賀「困ったなあ」
星野「お願いだ、2人でやれば早く終わるんだ、協力してくれ」
加賀「うーん……」
星野「25分までに終わらせよう。もしできなかったら諦める。どう?」
加賀「分かったよ、ゴミを拾おう」
星野「僕たち、合意したね」

事例D

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
加賀「でも僕たち急いでいるんだよ?」
星野「うん、そうなんだけど、放っておけないじゃないか」
加賀「困ったなあ」
星野「お願いだ、2人でやれば早く終わるんだ、協力してくれ」
加賀「いや、絶対間に合わないって」
星野「間に合うよ、きっと!」
加賀「しょうがないなあ、分かったよ」
星野「僕たち、合意したね」

事例E

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
加賀「でも僕たち急いでいるんだよ?」
星野「うん、そうなんだけど、放っておけないじゃないか」
加賀「困ったなあ」
星野「お願いだ、2人でやれば早く終わるんだ、協力してくれ」
加賀「そう言われても……」
星野「バスに乗れば間に合う」
加賀「僕はお金がない」
星野「僕が出すよ」
加賀「そういう訳にはいかないよ」
星野「君はゴミを拾うのが嫌でそんな事を言っているんだろう」
加賀「何でそこまで言われなきゃいけないんだよ」
星野「だってそうだろ、そうでもなきゃ、ここまで反対しないだろう」
加賀「僕たちは急いでいるんだってさっきも言っただろう」
星野「そんなに重要なことかよ?」
加賀「ああ、重要だね」
星野「僕と君とは価値観が違うようだ。君一人だけ先に行けばいいだろう」
加賀「なるほど、それもそうだ。じゃあ僕一人だけ先に行かせてもらうよ」
星野「僕たち、合意したね」

事例F

星野「道路にゴミが落ちているよ」
加賀「本当だ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
加賀「まさか拾おうって言い出すんじゃないだろうね?」
星野「そのまさかさ、拾おうよ」
加賀「嫌だよ、面倒くさいじゃないか」
星野「そういえば君、僕から100円借りてたよね?」
加賀「ぐ……」
星野「僕の頼みは断れないよな?」
加賀「ああ、はいはい、わかりましたよ……!」
星野「僕たち、合意したね」

事例G

星野「道路にゴミが落ちているよ」
星野「拾ってあげないとカラスが来て大変なことになっちゃう」
星野「よし、拾おうじゃないか」
星野「僕たち、合意したね」

事例から合意形成を考える

事例Aは「心が通い合っている」場合です。これも〈広義の合意形成〉ですが、〈議論〉が行われていません。
事例Bはゴミを拾う理由については食い違いがありますが、ゴミを拾うことに関してはお互いがそもそも同意しています。その上で合意形成だと言うわけです。
事例Cでは加賀はゴミを拾うことに難色を示していますが、星野の説得的な〈議論〉によって加賀の態度が変わります。説得を受けて加賀は納得します。
事例Dでは星野は〈議論〉による説得を試みますが、加賀に却下されます。しかし星野は理性に依存しない手段(「間に合うよ、きっと!」という気迫や情熱)によって加賀を説得し、加賀は妥協します。
事例Eではゴミを拾うことに関しては合意形成できませんでした。星野は加賀を〈議論〉によって説得しようとしますが、加賀は聞き入れません。結局、星野は二人でゴミを拾うことを諦め、加賀は二人で目的地に急ぐことを諦め、両者の態度がコミュニケーション前と変化します。そして互いに干渉しないことを合意するのです。
事例Fでは星野には債権者という地位が与えられています。つまり権力にものをいわせて(理性ではなく)加賀を説得?しようとしています。これに対して加賀は渋々、服従します。
事例Gでは星野が勝手に加賀が合意したとみなしています。会話文で見ると分かりやすいですが、加賀が一回も登場していませんね。

事例の評価

ガバナンス論の視点から見ると、事例A、事例E、事例F、事例Gは〈狭義の合意形成〉から排除します。理由は説明するまでもありませんが、事例Aでは「心が通じ合っている」ことが前提となっているため*1、事例Eでは「分かり合えないことを分かり合う」という変な構造になっていますが、「公の秩序を形成する」というガバナンス論の趣旨とは逆の性格を持った合意でしょう*2。事例Fは理性による説得・納得が存在せず、権力関係で説明できます。合意形成のためのコミュニケーションの中身はあまり問われません。事例Gは加賀にとって〈参加〉も〈包含〉もなく、合意形成が成立したと評価しづらい面があります。
事例Bは〈狭義の合意形成〉に含めるかどうか微妙なところですね……。

〈狭義の合意形成〉とは?

〈広義の合意形成〉のなかで、〈議論〉を含み、〈秩序形成〉を志向し、発案者の提案に対して参加者*3全員によって納得或いは妥協(これを仮に〈了解〉と呼びます)されたものを〈狭義の合意形成〉と呼んで構わないと思います。
また広い視野、長期的な視野に立って、〈秩序形成〉に支障を来さない〈了解〉である必要はあると思います。例えば後で文句がつくような〈了解〉は不完全な〈了解〉ということになります。結局誰も提案の趣旨を理解せず、実行の際に困ったことになるような〈了解〉も不完全な〈了解〉です。不完全な〈了解〉を含む合意形成は〈狭義の合意形成〉からは除かれます。

合意形成の考え方

実際のガバナンスには〈広義の合意形成〉がたくさんあります。ですから〈狭義の合意形成〉(理想の合意形成と呼んでもいいかもしれません)という概念を活用して、合意形成がうまくいったかどうかという基準でガバナンスを評価することができるでしょう。
勿論、↑で私が提案した〈狭義の合意形成〉は私個人の考え方に過ぎませんから、それぞれ自分自身で「望ましい合意形成とは何か」について考えてみると良いと思います。私に対する批判もどうぞ。
冒頭で「選挙は合意形成か」という話が出ていましたが、確かに選挙の一部分で合意形成と思われる説得的な議論が繰り広げられることもありますが、選挙自体、ルール(枠組み)に過ぎませんので、合意形成とは考えがたいです。その辺はid:tetsuyasatoの授業で……*4

メディエーター

最初のグループの議論の核心はメディエーターだったと思います(?)
合意形成のコーディネーター(ファシリテーターという場合もありますが*5)が中立的な立場で議論をうまく促進するという考え方ですね(事例Eのように喧嘩別れにならないように)。
しかしメディエーターが本当に中立的になれるのか、メディエーターはどうやって選ばれるのか、誰がメディエーターになるのかといった様々な問題を抱えていると考えます。

共通した前提を探る

2番目のグループは「先生側」と「親側」の二者の意見の共通項を見いだしたという点で良策でした。
メディエーターにとって平行する2つの議論を噛み合わせて合意を導くためには二者が互いに認めている前提や互いに共有している価値観から出発するのは非常に有効な手だてだからです。
先生の講評にもありましたが、「先生側」と「親側」を勝手に想定して「神の視点」に立っていたのが気になった点です。まぁ想像力は重要なのですが……。




合意形成って難しいですね。

*1:これはこれで背後に同調圧力などの問題がありそうですが

*2:ゆえに「ガバナンス=合意形成」という図式は崩れる

*3:例えば市民と言ったり、有権者と言ったりするわけですね。ここでは参加すべき人のこと。実際に参加すべき人が参加しているかどうかは「参加の問題」ですので

*4:やらないかも知れないけど

*5:厳密な違いはよく知りません

グッド・ガバナンスかどうかをどうやって評価しますか――当事者意識の形成という観点から――

先週のガバナンス論は「合意」だったそうです。
授業形式について一部で不満の声を聞きますが、直接言ったらいいと思います。



>ガバナンスにおける合意プロセスで最大の課題は,参加している人たちがどれだけ当事者意識を持っているかということでしょう
赤尾先生の指摘の通り、参加者の問題はあると思います。
同時に人はどのようにして当事者意識を持つのかについて考えることも必要だと思います。


>アツく議論や批判を展開している人たちをシニカルに傍観してしまったりします
逆に周りがアツ過ぎると相対的に自分が冷笑的になってしまう場合も多々……。
「社会システム論?」で学んだ「熱心派と非寛容」の問題で、より不理解や「溝」を感じてしまうおそれがあるでしょう。
「なぜ議論しているのか」「どうやって議論しているのか」「誰が議論しているのか」といったメタな視点は不可欠だと思います。


>当事者意識を持つ人たちで形成した合意に対して,感情論などを持ち出して(あるいは「私は聞いていない」とか),異を唱える人がいるのも困ったものです。
これも「熱心派」によくある不満だとおもいます*1。社会道徳や愛国心は特効薬にはなり得ないだろうし、フリーライダーのくせに文句だけを言う人もいます。
しかし「溝」をつくることは決して良いこととは思えません。もし「当事者意識を持つ人たち」が「溝」をつくることを是としないなら、当事者意識を持たない人を取り込む努力をすべきでしょう。
こうした努力は、一方で「熱心派」の正統性を強化する働きもあると思います。例えば形式的に「みんなの意見」を募集しておいて、実際にはほとんど意見が寄せられていないのに「みんなの意見を反映しました」と主張する。そして「何も言わなかったお前らが悪い」と。
しかし問題なのは、ある権力者が、潜在的な当事者(従ってガバナンスに参加できる)に対して(意図してか意図せずかは問わないが)適切な情報提供を行わず、その結果として潜在的当事者に当事者意識が形成されない場合がある、ということなのです。
そして意志決定が終了した段階で、潜在的当事者たちが当事者意識に目覚めるわけです。「私は聞いていない」、と。
権力者が意図的に情報操作をした場合、非難されるべきですが、意図せずに当事者意識の形成を抑止してしまう場合も考えられます*2
そのための「ガバナンス論」という訳ですね(笑)。


では、よりよい合意のために、何をすべきか?

Consensus oriented

There are several actors and as many view points in a given society. Good governance requires mediation of the different interests in society to reach a broad consensus in society on what is in the best interest of the whole community and how this can be achieved. It also requires a broad and long-term perspective on what is needed for sustainable human development and how to achieve the goals of such development. This can only result from an understanding of the historical, cultural and social contexts of a given society or community.
WHAT IS GOOD GOVERNANCE?

合意に基づく

現在、社会にはそれぞれの視点をもった色々なアクターがいる。グッド・ガバナンスは幅広い社会的合意に達するため、社会における様々な(立場の)調停を求めている。その社会において全てのコミュニティの最も多くの関心のあるものについて、またどのようにしたら目的(幅広い合意形成)を達成することが出来るかについて。グッド・ガバナンスには、持続可能な人間発達に必要とされるものと、こうした発達の目標に到達する方法について、見通しの立った長期的な視点が必要だ。これは、歴史と所与の社会或いはコミュニティの文化的社会的文脈の理解だけが結果をもたらすだろう。
訳:vanya*3

国連は「合意」のために、ある社会(コミュニティ)の歴史、文化、社会的文脈を理解しなさいと言っている訳です(たぶん)。
こうした理解をどうやってよりよい「合意」に結びつけるか、潜在的当事者意識の可視化が重要です。
情報技術は歴史、文化、社会的文脈の理解、及び当事者意識の可視化に貢献するでしょうけれど、いかに活用していくべきかという視点が必要です。


>それではたしてグッドガバナンスが可能なのかどうか――。
この問いかけに意味があるのかどうかは分かりかねますが、理解しようとする努力を欠いて「あのわからずや」と怒鳴る人間にはあまりなりたくはないです。

*1:ええ、分かります、分かりますとも!

*2:例えば一般の人が関わるような問題について難しい言葉で語って、一般の人が理解できない議論にしてしまうなど

*3:"best"の解釈がこれでよかったか……。おかしな点があればコメントください

ブログ演習でのアメブロ率が高いことについて

嫌な予感がします。
ある論題に対して、他の受講者のブログを巡回して意見の分布を調べたいなぁと思ったとき、全てのブログがチェックできる状態である必要があります(特にとまとめエントリを作成するとき)。
私個人の経験則ですが、アメブロは「サーバのメンテナンス中」などが非常に多い印象があります。あれには何度となく歯痒い思いをさせられました。今年は改善されているといいのですが。


昨年、赤尾先生がはてな批判(?)をしたらゼロでした。一昨年は佐藤先生がはてなをプッシュしたので相当なはてなダイヤラーが誕生しました(私自身はべつにはてな帰属意識はないですけど)。
今年こそは、と思っていたhamazoユーザは誰一人現れませんでしたね。写真等をアップし続けると、知らない人が絡んできて楽しいのに。カテゴリの作り方などが若干面倒くさいけれど。

住民感情としてのプライバシー――ストリートビューにみる公と私

All clear for Google Street View ―― BBC NEWS
情報委員会(Information Commissioner)がGoogle Street Viewにある種のお墨付きを与えたようです。
BBCが引用しているDavid Evans氏の発言はこちら(PDF)です。


Information Commissionerなんて組織があるのを知りませんでした。
英国法務省がスポンサーとなって誕生した独立行政法人のような団体みたいです。
そもそも個人データ保護を目的としていたようです*1


概要を掻い摘んで説明すると、
プライバシー侵害の虞という小規模なリスクに対応する必要があるが、だからといってストリートビューというサービスを停止すべきでない。
Privacy InternationalはInformation Commissionerに対してストリートビューに個人を特定できるような顔の画像が映し出されることを理由に*2サービス凍結(be suspended)するように訴えた。
Google側はFace blurring(顔やナンバープレートを自動的に不鮮明にする技術)があるから大丈夫だと主張している。更に簡便な削除ツールをInformation Commissionerに約束すると。
Dr Ian Brownは警鐘を鳴らしている。


BBCの記事は、ストリートビューに対する住民の反発も描いています。

One village in the UK prevented Google from taking photos of the streets.

Residents of Broughton, near Milton Keynes, blocked the driver of a Google Street View car, which captures the photos, when it tried to enter the village.

Police were called after residents staged the protest, accusing Google of invading their privacy and "facilitating crime".

イギリスのある村はストリートの写真を撮るグーグルの妨害をした。
Milton Keynes近郊のBroughtonの住民はグーグル・ストリートビューの車(写真をキャプチャする車)が村に入ろうとしたとき、その運転手を遮った。
グーグルがプライバシーを侵害し、「犯罪を助長する」と非難しながら住民達は抵抗運動を起こし、その後に警察が呼ばれた。
(訳:vanya)


Information Commissionerがどういう組織なのかいまいち要領を得ないのですが、グーグルはInformation Commissionerを説得して(あと、合法的という理由で)、慢心していいのかと疑問に思います。
住民の反発心にどれだけ注意を払っているか気になるところです。家の写真は個人情報と言えば個人情報ですし。
(それにしても、普通のおじさんがちゃんと地面を走って写真を撮っているんだなぁと……そりゃそうなんでしょうけど)

*1:現在はPersonalDataからPersonalInformationになっていますね

*2:because some individual's faces were identifiable on Street View

今年も始まったみたいですね(2009)

毎年、ポータルページのURL変えられると困りますね(笑)
こちらです。
http://gov.oops.jp/


このブログも細々と書き続けて、よく分からないけれど、はてな市民(銀)として認められ、グリーン・スターとかいうヴァーチャルなアイテムを頂きました。hatena shopさん、ありがとうございます。
諸事情により授業には遊びに参加できない線が濃厚ですが、たまにブログ等、覗いていきたいと思います。


なるほど、早速、最初の課題が出ているのですね。
課題1「情報学部にこれだけは言いたい!」
いっぱいあります(笑)

春休みだからって


緊急車両も通れませんね(どうせバリケードがあるのだけれど)。
自転車は規制しておいて車は無法地帯ですか*1
事故のない道路、犯罪のない国は存在しない。と。


以上、迷走するガバナンスの現場からお届けしました。

*1:尤も、和地山公園にはいつものように何台か自転車が駐まっておりました。「公園の利用者」の自転車が。